2001年3月3日(土)
白血球が増加し外泊。
ホームページを試しにアップしてみたが文字化けしてしまった。
2001年3月5日(月)
放射線治療開始。
研究時代に培養細胞に放射線を照射していた頃を思い出す。
自分が実験細胞にでもなった気分。全く何も感じないところが放射線の恐いところ。
2001年3月6日(火)
化学療法2クール目の開始。
前回好中球が減少したため、今回は薬剤量を8割に減量。
2001年3月8日(木)
髪の毛がだいぶん薄くなってきたと実感。
もともと髪の毛が多い方でよかったな、と名前は言えないが髪の毛の薄い友人を思い浮かべる。
2001年3月10日(土)
英国在住の友人よりTELあり。来年は帰国するとのこと。またひとつ生きていく目標ができた。
ついにホームページのアップに成功。
2001年3月11日(日)
ホームページ開設についてメールを出しまくる。
2001年3月13日(火)
HPを見てくれた方々からのメールが多数届く。HPを作って本当によかった。
見る人によって感じ方も様々に異なるんだなあと実感する。
2001年3月17日(土)
化学療法2クールのせいか、体がややしんどい。
緩下剤なしでは排便がない。
味覚も鈍麻し、味があまり分からなくなった。
食事量が減ったので、薬局でビタミン剤を買おう。
2001年3月20日(火)
長年診てきた患者さんの家族から千羽鶴が届く。
これはとてもうれしい。主治医として信頼されてきた証である。
HPのアクセス数は10日で1000の大台に乗った。なかなかの勢いである。
きっと毎日のように見に来てくれている人も多いのだろう。
嚥下後に閉塞感あり。放射線性食道炎だろうか?
2001年3月21日(水)
少しずつ発熱のピーク値が上がり、体がしんどい。
癌の勢いを止められていないような気がする。
2001年3月22日(木)
今日で放射線治療が終了。明日は外泊だ。
今は痛みなく外泊できることを素直に感謝しよう。
2001年3月24日(土)
50年ぶりの芸予地震。生まれて初めての大きさに恐怖。
愛媛では、50歳の主婦が亡くなられた。
市外通話がつながらない中、Eメールは問題なく届く。
この点でも、インターネットは便利である。
2001年3月26日(月)
化学療法の効果が今一歩のため、次回はレジメン(薬の組み合わせ)を変更することになった。
2001年3月27日(火)
病室の窓から桜の木が見える。今日は朝と夕では見違えるように咲いて満開が近づいている。
来年の桜は見られないかと思うと、元気な時には気にもしない桜の花がいとおしく感じるから不思議なものだ。
これが、日本人の血というものだろうか。