2001年2月13日(火)
いよいよ化学療法の開始である。
副作用防止のステロイド剤のため、熱は下がり、空腹感も出、体調は最高によい。
以前の標準治療であるシスプラチンを用いたしんどい治療とは比べようもない楽さである。
これで有効であれば言うことなしだが。
2001年2月15日(木)
ステロイド剤による見せかけの調子良さが切れ、食後はむかむかして過ごす。
2001年2月17日(土)
副作用症状はもうなくなり、外泊。
姉夫婦と次兄が帰省してくれて、兄弟4人で外食する。
自宅の風呂に入れるのは、あと何回あるだろう。
下の娘が私にまとわりつく。
妻が心配して私から離れるように言う。
「お父さん、調子良さそうなのになぜ退院しないの?」
「内科の病気はね、治療に時間がかかるんだよ」
以下、こども達との会話。
「お父さん、長生きしたい?」
内心ドキッとしながら答える。
「長生きしたいよ。(でも、中学生になった君たちの姿は見られないだろうな)」
「お父さん、何かしたいことある?目標は?」
「そうだな、自分のホームページを作ることかな。(本当の目標は、来年の君の10歳の誕生日まで生きていることなんだけど、ちょっと難しいんだ)」
2001年2月25日(日)
病室からのインターネット接続に成功。
窓際から何とかPHSで通信可能である。
NTTドコモでは、iBOOKからPHS通信はできないと言われたが、IO-DATA社からUSB接続ケーブルが発売されていたのだ。
教えてくれたヤマダ電機の店員さんに感謝。
おかげでノートパソコンを新たに買わなくてすみました。
早速、メールを送る。
2001年2月26日(月)
好中球減少のため、出室禁止・面会謝絶となる。
インターネット接続が可能になっていて良かった。
2001年2月27日(火)
腰痛が出現。骨転移の痛みと思われる。
化学療法が効いていないのか?
ホームページ作りを急がねば。
2001年2月28日(水)
検査の結果、骨転移巣が悪化しており、来週より除痛目的に放射線治療の予定となる。