4.高齢者の末期医療について

 別項で、治癒不能の癌患者は、自分の死の準備ができて幸せだと書きました。
 実は、もうひとつ幸せな点があるのです。
 それは、死期が近づいた時に、延命よりも苦痛緩和を優先してもらえるということです。

 今の日本では、癌以外の病気では、いくら悲惨な状況でも原則として延命医療しか認められていません。
 どんな高齢者でも、体力さえ許せば働き盛りの方と同じ延命治療がなされます。
 医学はどんどん進歩しています。
 以前は死病であった大腿骨頸部骨折ですが、今では90歳のおばあちゃんも手術して元気に退院される時代です。
 けれども、延命医療が進歩して、かえって悲惨な状況を作り出すこともあります。
 私は、内科医として、悲惨な人生の最後もたくさん見てきました。

 私は、年老いて最も恐いのは、痴呆と寝たきりだと思っています。
 ぼけ封じ観音とか、ぽっくり寺とか、聞いたことがありますか?私には、そのような信仰がよく理解できます。
 高齢者といっても、様々な方があります。同じ90歳のおばあちゃんでも、点滴するときに、
 「この年寄りをもうそんなにいじめなくてもいいじゃろ。」と言われる方もあれば、
 「私は100歳まで元気でいたいんじゃ。がんばって治療しておくれよ。」と言われる方もあります。
 相反する言葉のようですが、家族に面倒をかけたくないという思いだけは共通しているように思われます。

 80歳くらいのおじいちゃんの内視鏡検査をして、胃癌を発見したときのことです。
 初対面の奥さんに結果を説明すると、次のような身の上話をされました。
 「70歳の時、心臓のバイパス手術をして成功した。その時は家族一同とても喜んだ。
 しかし、その後痴呆が出て、徘徊が始まった。それからの私は苦労の連続だった。
 あの時手術しないで死んでいてくれたらよかったのにと思います。
 もちろん胃癌に対しては何もしなくていいです。」と。
 長年連れ添った相手に、このような感情を持たなければならない人生は、とても不幸ですよね。
 高齢者でバイパス手術が必要な状態となれば、動脈硬化は全身に及んでいることが多いです。
 手術に成功しても、近い将来、脳梗塞など他の疾患を発症するリスクは大きいです。
 昔なら心筋梗塞を生じてぽっくり死ねたのに、今はぽっくり死ねない時代なのです。

 大きな脳梗塞を生じて、命だけは助かってしまったという状態はとても悲惨です。
 寝たきりで話すことも食べることもできない状態になっても、点滴したり胃に直接栄養剤を流し込んだりすれば何年も生きられます。
 まばたきの様子でしか感情を推測することができない患者さんの主治医になると、恨まれているのではないかと思うことがよくありました。
 訪室して、私と判ると決まって目を閉じてしまわれるのです。
 「こんな状態で生き永らえさせていることを恨むぞ。」と抗議されているような気がするのでした。
 家族の方も複雑な思いになるようです。
 こんなことを言われる家族の方もありました。「この人は延命を希望していないと思うんです。元気なときからそんなことを言ってましたから。でも、私としては、こんな状態でも生きていてほしい気持ちがあるのです。」
 何年も入院して、蓄えがなくなってしまったという話も聞きます。
 「あの病院はいいよ、看護がいいかげんで床ずれ(褥瘡)がすぐできて、肺炎を起こすので早く死ねるよ」などという笑えないジョークさえ聞くことがあります。

 治る見込みがなくいずれ助からないという点では、寝たきりの脳梗塞の方も末期癌患者と同じです。
 人生の最期を迎える時に、血圧を上げる昇圧剤を用いたり、人工呼吸器を用いたりする医療が、高齢者にとって幸せとはとても思えません。
 けれども家族の中には、そのような医療を希望される方も実際にあるのです。
 医療スタッフは、経験から患者さんの苦痛を長引かせる結果になることがわかっています。しかし、経験のない家族にとっては先が見えません。
 延命の方法があると知らされたら、「肉親と別れたくない、別れの瞬間を先に延ばしたい」という感情が勝ってしまうのでしょう。

 高齢者の医療や介護に関して詳しく知りたい方には、妹尾先生の老人介護と老人医療に関するおしゃべりのページを紹介します。このHPの2001年以前のページに盛りだくさんの記述があります。
 以前私が妹尾先生の著書を読んで最も衝撃を受けたのは、「重症の肺炎の患者に対して、抗生剤と輸液と昇圧剤を使いながら、人工呼吸器は使わないという、アンビバレントな治療をする医師もいる」という記述でした。
 治る見込みのない病気を抱えた高齢者の方が肺炎を起こしたとき、抗生剤を使うという治療は当然のごとく行われていますが、結局は苦痛を長引かせているだけなのです。
 できるだけ延命して「手を尽くしましたが、亡くなられました」と主治医が家族に告げ、家族が「ありがとうございました」と頭を下げるという光景が、双方にとって一番楽です。
 けれども本当に患者さんの幸せを考えれば、話し合って「抗生剤を投与しない勇気」が主治医にも家族にも求められるのかもしれません。

 実際にはそこまでの勇気を出せないまま、私は発病してしまいました。
 もし抗生剤を使わなかったら、「自分は人の生死を左右しようとしているのではないか」とか、「最善を尽くさなかったとして、家族の一部から不満が出るかもしれない」とか、「勤務医としての評価(病院の儲け)を気にして治療内容を決定しようとしているのではないか」とか、いろんな保身の思いにとらわれてしまうのです。
 私たちの世代の医師は、学生時代に延命医療しか教育されていません。医師になってから、延命医療が患者さんの幸せにつながらないことを体験し、思い悩むのです。

 「高齢者の末期の状態では、肺炎に対して抗生剤を投与しなくても誰も責められない」という国民合意ができれば、MRSA1)などの院内感染が減少し、老人医療費もかなり抑制されるでしょうが・・・無理でしょうね。


注1)MRSA;メチシリン耐性黄色ブドウ球菌・・・元々は力の弱い菌で、健康な方では病気を生じることがありません。しかし、ほとんどの抗生剤が効かないため、抵抗力の弱った患者さんでは、致命的な感染症を生じることがあります。病院内では、他の患者さんに感染すること(院内感染)が問題になります。
 肺炎に抗生剤を用いると原因菌が死んで、いったん良くなります。しかし、抵抗力の弱った患者さんでは、通常は弱毒菌で病気をおこさない菌が、抗生剤が効かないために生き残って、感染症を生じることがあります。これを菌交代症といいます。肺炎では、緑膿菌やMRSAなどが菌交代症として命取りになることが多いです。