5.見舞いの心得
治癒不能の癌と告知された知人のお見舞いに行くというのは、お見舞いする方にとっても緊張を伴うものです。どんな言葉をかけ、どんな話をすればいいのかわからないとお困りの方もあるでしょう。
ここでは、私自身の経験から、アドバイスしましょう。
1)「退屈でしょう」は不適切?
入院当初のお見舞いでよく言われたのは「退屈でしょう」という言葉です。
余命の限られた末期癌患者にとって、この「退屈」という言葉ほど当てはまらない言葉はないのではないでしょうか。
何もしないで退屈そうに見えても、それは思案にふけっている時間かもしれないし、倦怠感で何もできない時間かもしれないし、精神的に何もしたくない時間かもしれません。
いずれにせよ、「退屈」しているのではないのです。
2)「がんばって下さい」は避けましょう。
「がんばって下さい」と言うのは、お見舞いでは最も普通の言葉です。
「月並みですが、がんばって下さい」とか、「がんばって下さいとしか言えませんが、がんばって」というふうに使われます。
私自身はありがたく受け取っていますが、本当は避けるべき状況もあります。
現代社会ではストレスが多く、働き盛り世代のうつ病や抑うつ神経症が増えています。
このような患者さんには、「がんばって」という言葉は禁句です。病状をさらに悪化させてしまいます。
「がんばらなくていいからね」と言わなくてはなりません。
癌患者では、いろいろな精神状態がありうると思います。治療をがんばるぞ、と自分を奮い立たせている時もあれば、悲観的になって落ち込んでいる時もあるでしょう。
見舞いに行って、「がんばって」と言いたい気持ちは分かりますが、避けるべき状態もあることを知っておいて下さい。
3)それでは、何を話せばいいの?
これは、患者さんによって異なるでしょう。
患者さんが身の上話を聞かせたいようなら、聞き手になってあげるのがよいかもしれません。
私の場合は、見舞いの方の近況を聞くのが、とてもうれしかったです。
癌に関する話題から離れて、発病前と同じように接するのがヒントかもしれません。
癌患者をしばし癌から遠ざけて気分転換させてあげることができたら、お見舞いは成功だと思います。
以下は、1986年の看護学雑誌からの抜粋です。一般の方にも役立つ文章だと思います。著者は、癌を経験した医師です。(当時は癌の告知やモルヒネ使用がまだ一般的でない時代で、印象的な文章でした)
癌性疼痛を除くためにひとつ大切なことがある。それは社会とのつながりである。
癌=死という考え方と、癌になった者はもう社会人ではないという考え方がある。癌患者はいやというほどそのことを感じている。だからこそ、癌患者はできるならばなるべく社会に連れ戻してあげたいのである。
もう癌の末期でだめだからそっとしておいてあげよう。いやそんな気遣いは役に立たないから会ってもしかたがないという人もいる。それはなんと寂しいことではないだろうか。
なすべきことは、なるべく多くの人が余暇をさいて訪問すること。次に何か仕事をさせることである。
このようにするために必要なことは、モルヒネを大量に使ってもよいから、決して痛みを出させない方法をとることである。
看護というのは、この両者を十分に調和し、その人に適したスケジュールを作ってあげることではないだろうか。死を迎える準備をさせることはつらいことである。しかし、それは看護者に任された重大な使命のひとつである。癌患者とともに歩みながら考えてほしい。