2001年8月4日(土)
 ボルタレンを休止してナイキサンに戻したが、安静時の痛みはほとんどない。放射線療法の効果である。
 発熱もおさまっており、化学療法が効いてくれたのならいいのだが。
 今日は42歳の誕生日。第1目標に到達した(非小細胞肺癌ステージ4の平均生存期間に相当)。次の目標は、来年の正月を越えること。

2001年8月8日(水)
 今日で放射線療法が終了。

2001年8月9日(木)
 喜多医師会病院に転院。食欲も戻ってきた。
 掲示板で常連になってくれている智恵子さん、saerin、ボスさん、マルさんの4人が病室に見舞ってくれた。ずっとしゃべり続ける智恵子さんのエネルギーに圧倒される。HPを作っていなければ知り合うこともなかった5人が、こうして一同に会して談笑している。これもインターネットの存在のおかげである。

2001年8月10日(金)
 腹部エコー検査を受けるも、腎臓の転移巣は指摘されず。化学療法が効いていてくれることを願う。
 病院内で中学の同級生に出会う。なんと40過ぎて3人目を生んだとのこと。高校の同級生には、40過ぎて結婚してこれから子作りをがんばるというやつもいる。車椅子を押してくれていた看護助手さんは、40代ですでに孫が2人もいる。人生いろいろだ。
 本日外泊。病状が許す限り自宅で過ごすつもり。

2001年8月11日(土)
 両親宅で昼食。兄姉3人も帰省してくれて、親子6人で食事。親子6人だけで食事をするのは何年ぶりだろう。体調の良い時期で良かった。食欲があるので、両親も安心してくれただろう。

2110年8月16日(木)
 化学療法2クール目開始。

2001年8月17日(金)
 お盆を前後して、毎日のように友人が顔を見せてくれた。幸せ者だなあと思う。

2001年8月18日(土)
 副作用で気分不良が続く。それでも、前回の治療薬に比べれば軽いものだ。

2001年8月27日(月)
 治療効果判定の週である。CT検査を受けるも、結果を聞かず外泊。発熱なく経過しており、結果が良いことを期待している。

 久しぶりにインターネット懸賞応募にのめり込む。懸賞によく応募していた4年前に比べると、インターネットには懸賞があふれているが、懸賞応募者の増加もすさまじい。当選すればかなりの幸運といえるだろう。

2001年8月30日(木)
 CT検査の結果、原発巣などの縮小効果あり。新たに肝臓や胸椎に転移があるようで、手放しで喜ぶわけにはいかないが、とりあえず延命効果は得られたものと考えられる。
 何より、副作用が軽くてQOLを保った治療を続けられることがうれしい。
 やつれた姿を予想して見舞ってくれた方々が、一様に「変わらないね。元気そう。」と言ってくださる。

 イチローが200本安打を達成。発病前の私なら、プロ野球を見て一喜一憂することなどなかった。それが今では、イチローがヒットを打つのと凡退するのとでは気分が違う。おもしろいものだ。

2001年8月31日(金)
 今日で夏休みも終わり。今年はどこへも連れていってやれなかったが、子供たちと一緒の時間をたくさん過ごすことができてよかった。