2001年10月23日(火)
MRI検査の結果、第2胸椎から肋骨へと癌が浸潤し、痛みが出現していると診断され、同部位に放射線療法を開始。
内心は、左上腕伸側に痛みが出た10日前からそうではないかと疑っていたが、主治医や病院に遠慮して自分から検査を言い出せなかった。
結果的に治療開始が1週間遅れ、痛みに苦しむことになってしまった。
医師である私がこれだけ遠慮してしまうのだから、一般のおとなしい患者さん達が、医師に対してどれだけ言いたいことが言えないでいることかと思う。
痛みというのは、自分にしか評価できないものなので、我慢は厳禁である。
看護学校の学生が実習で訪室してくる。環境整備という名目で、室内の拭き掃除をしながら、患者さんと会話するのが目的である。
その点はよく分かっているのだが、痛みと熱のため、相手をしてあげることができない。調子が良ければ、「iBOOKかわいいでしょう」とか話してあげたいのだけれど・・・
2001年10月25日(木)
発熱のせいか、モルヒネを服用しても痛みがおさまらない。これまでで最もつらい日であった。3種類以上の下剤でも排便なく、座薬で少量出す。
2001年10月26日(金)
今日はモルヒネが効いて楽である。やっと大量に排便もあって、久しぶりにお腹がすっきりした感じ。
2001年10月29日(月)
朝、左鎖骨上窩リンパ節の腫大に気づく。あっという間にうづらの卵大を越えている。
本日より、X線照射野を拡大してもらった。
2001年10月30日(火)
主治医より、積極的な化学療法断念も選択枝のひとつと打診あり。化学療法によって、かえって苦しみを増し、死期を早めるリスクが大きくなってきたからである。
2001年10月31日(水)
妻は、化学療法を受けてほしい気持ちがあるようだ。
前回の抗癌剤が、有効かつ副作用が少なくてとても良かっただけに、2匹目のどじょうをねらいたい気持ちはある。
結局、副作用の強いつらい抗癌剤を避けて、単剤による治療を希望しようと思う。
現在まで続いている熱が感染でなく腫瘍熱であるとすれば、熱が治まってくれるだけ効いてくれればいいのだ。
2001年11月3日(土)
現在、MSコンチン1)20mgを8時間毎に服用。起きあがると痛むが、安静時には耐えられる範囲内。腸管麻痺(便秘)と軽度の吐き気はあるものの、今のところ幻覚や錯乱症状はないようだ。
本日、1か月ぶりにHPの掲示板を再開した。すぐに閉鎖する事態にならなければいいのだが。
2001年11月4日(日)
友人が、見舞いのために関東からわざわざ帰省してくれた。2時間話す。ちょっと疲れたが、とてもうれしかった。
2001年11月5日(月)
ほぼ8時間おきに38度の発熱あり。癌細胞が暴れ回っている感じ。さすがにしんどい。明日よりステロイド剤を開始することになった。
2001年11月6日(火)
プレドニゾロン20mg内服(4-0-0)2)開始。高熱なく楽になった。相変わらず腹部膨満感は苦しい。
2001年11月7日(水)
掲示板を再開したところ、癌患者や家族の方達から続々とはげましの書き込みがある。大半は、以前から訪れていて下さった方々からの初めての投稿である。このHPがたくさんの人の役に立ってきたのだなと改めて実感できて、とてもうれしい。
中には、麻薬服用後の様子も知りたいとの要望もある。確かに参考になるだろう。できるだけ、闘病日記も再開したいものだと思い、中断後これまでのところを記す。
2001年11月9日(金)
外泊するも、夕食後上腹部痛と嘔吐が出現。
2001年11月10日(土)
医師会病院で検査。内視鏡では消化性潰瘍の併発はない。モルヒネによる腸管麻痺が主因か?
食べられそうにないため、外泊をやめて病院へ戻る。絶食で持続点滴。ステロイド等も点滴投与へ。
2001年11月11日(日)
腹痛が増強。単なる腸管麻痺ではなく、癌細胞の浸潤による内臓神経痛か。身の置き所のない、全く耐えることの出来ない痛みである。モルヒネの持続静注が開始になって、やっと痛みは治まった。いよいよ化学療法を断念して、覚悟する時がやってきたか。
2001年11月13日(火)
局所の放射線療法は著効を示し、当分呼吸困難で苦しむ心配はなさそう。これは救いだ。
2001年11月14日(水)
明日は、喜多医師会病院へ転院する予定。愛着のある勤務先で最期の時を迎えるために。
2001年11月15日(木)
このHPの内容を本にしないかとの話が舞い込み、心が揺れる。病状的には、ターミナルホスピスケアを選択すべきかもしれない(その方が体は楽である)が、もう少し化学療法をがんばって受けて延命を期待したい気持ちにもなってきた。
無事、医師会病院へ転院。体重は1週間で5kgも減っている。本日より、経口摂取を試してみる。
これからは自宅から車で10分の距離なので、妻の負担がとても軽くなる。
2001年11月16日(金)
アクセスポート付き中心静脈カテーテル留置術施行3)。これで、この先どんな事態になろうとも安心である。
2001年11月18日(日)
モルヒネとステロイド剤の持続静注によって、体調はとても良く感じる。空腹感も出てきた。
癌が良くなった訳ではないにもかかわらず、まさに癌と共存しているような、あるいは癌を克服したかのような感覚を覚える時さえある。
癌性疼痛の解消がいかに重要なことであるかを身をもって体験している。
2001年11月19日(月)
本日より化学療法。しゃっくりと頻尿による不眠あり。
2001年11月21日(水)
イチロー、アリーグMVP&新人王ダブル受賞。この1年、本当にありがとう。
2001年11月22日(木)
CT検査の結果、今後も化学療法を続行することになった。ターミナルケアと積極的治療を同時に行う困難な道をもう少しがんばってみよう。
(私の癌は、進行が速く、放射線療法や化学療法に感受性があります。進行が遅く、治療に感受性の乏しい非小細胞肺癌の場合は、化学療法断念の段階と思います。)
2001年11月25日(月)
本日化学療法。しゃっくりが少し。
2001年11月26日(火)
モルヒネの持続静注が続いて、錯乱が生じてきたよう。人の名前もあまり思い出せなくなった。これ以上のHP更新は困難と判断す。
注1)MSコンチン;モルヒネの徐放剤。通常1日2回の内服で痛みを抑えます。作用は個人差がとても大きいです。たとえば、肝機能の悪い患者さんでは、1錠10mg服用しただけで顕著な作用が出たりします。逆に100mg以上の内服を必要とする患者さんもあります。麻薬については別項を参照下さい。
注2)4-0-0;プレドニゾロンは副腎皮質ホルモン(ステロイド)の代表的な薬剤で、1錠5mg。4-0-0とは、朝4錠まとめて服用し、昼と夕は服用しない飲み方。
注3) アクセスポート付き中心静脈カテーテル留置術;心臓の近くの大静脈までカテーテルという管を入れ、体外の先端部分は針を刺せるアクセスポートとして皮下に埋め込んでおきます。小さな切開手術を伴いますが、末期癌などで食べられなくなった患者さんでは、これ以上便利なものはありません。点滴する時には、体外からアクセスポートへ針を刺すだけです。点滴がない時には、入浴など普通の行動が自由にできます。末期の在宅医療でも威力を発揮します。